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えっ! 泉区内をシルクロードが・・・・?
わが街の歴史を知る・中川村の養蚕と製糸

 
郷土研究家の翠川さん  
 中川地区センター(有山館長)の自主授業「郷土を学ぶ」。今回は翠川宣子さん(泉区歴史の会)による標記のお話。
 中川村(明治22年、阿久和・岡津・名瀬・秋葉・上矢部の5か村と合併して発足)は、明治20年代に周辺で養蚕製糸が盛んになり、現在の長屋門公園付近は「江戸阿久和」といわれる賑わいを呈したそうだ。その後、大正9年の生糸暴落・同12年の関東大震災で製糸工場は消滅したとのこと。

 江戸時代、甲州道中最大の宿場町八王子は織物の「縞市」活況を呈しており、横浜開港(安政5年・1858年)になると、横浜へ貿易品として運ばれるようになる。八王子〜原町田〜鶴間〜今宿・・・・横浜生糸検査所が「絹の道」となり、桑都八王子と結ぶ滝山街道〜立場を通る現阿久和鎌倉線・瀬谷柏尾線等も「西陣織や紬用の繭買人」が往来していた。これは、明治15年以前からのことだそうだ。特に、瀬谷・中和田・中川の3か村は養蚕が盛んであった。翠川さんが地図の上に、「桑の畑」として黒塗りしてくれたのが、分かりやすくうれしい。
  郷土“泉”を学ぶ
  郷土“泉”を学ぶ


 なるほど、かまくら道から西側、境川辺りまでにかなりの桑畑があったことがわかる。当地の中丸・相原・大貫・横山家は大規模養蚕農家であり、かなりの年期奉公人を置いていたようだ。普段何気なく過ごしている近所に、こんな歴史があったことに感慨をおぼえる。遠くは日蓮上人、そしてこのシルクロード、戦後はあのマッカーサーが厚木から立場を通り、横浜に入ったと聞く。

 歴史を知ることと共に、「郷土いずみ」を研鑽されている翠川さんはじめ、関係者の方々に敬意を表したい。
台風の余波か、風も強まり曇りがちの7月18日(海の日)、参加者の質問も元気で、次回はなにかな?と期待したい日であった。(字句引用は当日の翠川さんの資料より抜粋)。