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講師は、釜石市両石町内会長の瀬戸元氏。進行役は瀬谷区地域振興課長の吉川雅和氏。各自治会町内会長から質問を受け、瀬戸氏が回答する、という形で進められた。 防災訓練などに若い人の参加が少なく、両石町でも訓練参加は住民の20%程度で高齢者中心。生徒が助ける側になるには、学校での教育が大切と考え、学校に申し入れ、防災出前講座を行っている。それが防災意識を高め、将来町のためになってくれると考えている。 要援護者対策として、寝たきり、歩行困難、75歳以上の区分で、軽トラ保有者とペアーで搬送避難することにしている。当該軽トラ以外は、避難所への通行禁止とした。市の指定避難所は老朽化で隙間風の中毛布2枚、だけでは冬場寒さで震え、停電で暖房もなく、体調不良者多く出た。認知症の高齢者は、当初病院から引き取りを断られ、避難所内では大きな問題だったが、1週間後に引き受けてもらえるようになった。重度の要援護者は2名が、避難所生活で悪化し、自衛隊ヘリで搬送してもらった。 避難所は、幸いスペース的には恵まれ、寝る所と食べる所の位置を分けることができた。家族同然となっているペットの避難所搬入は禁止としている。 発災後2日間は外部から完全に孤立状態で、町内や避難所間の情報伝達は、すべて無線マイクで行い、有効であった。 水は沢水を利用、食料は被災を免れた住宅の備蓄を利用、トイレは神社、民家などを利用。自衛隊からの救援は発災1週間後であった。
明治・昭和の大津波を上回る巨大津波を想定していなかった。10mの防潮堤のため、当初3m津波警報で逃げ遅れた人も。しかし、津波をなめていたと言わざるを得ない。釜石の奇跡、と言われるが、あと対応が5分遅れていたら、そうは言われなかった。地震発生後校庭に集まった生徒を、普段は点呼した後で避難、ということであるがその中学校の副校長の判断で、直ぐ避難を、と指示。避難する中学生を見て、小学校も児童を避難することに。定められた避難場所到着後、迫る津波に気付き、中学生は小学生の手を引き走って上へ登った。その時の慌て振りは、脱げた靴が道に散乱していたことでもわかる。副校長の判断と生徒たちの行動が賢明であった。 発災ごは、どうサバイバルするかで、それには普段のシミュレーション(事前想定)が大切だということを感じている、とした。 |